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著者:OFFICEK

沖縄国際映画祭 10カウントは聞かない~カンムリワシを育てた男 2018

 沖縄ボクシング界の名伯楽故・金城眞吉監督のドキュメンタリー映画
『10カウントは聞かない~カンムリワシを育てた男』

金城眞吉


の上映会に参加させていただき、そのあとレッドカーペットを歩かせていただくという、とても貴重な体験をさせていただきました。

 

この作品の主人公である故・金城眞吉監督は、興南高校・沖縄尚学高校ボクシング部の監督として40年、そして40人あまりの全国チャンピオンを育てあげ、教え子の中には日本ボクシング界のレジェンド具志堅用高さんがいる事はあまりにも有名です。

↓は『島ぜんぶでおーきな祭 第10回沖縄国際映画祭』からの作品紹介を引用

 

故郷・沖縄で二度目の防衛戦を初回KOで飾った比嘉大吾。試合後彼が手に持ったのは昨年死去した沖縄アマチュアボクシング界の名指導者、金城真吉の遺影だった。

彼の本職は消防士だが、40人余りの高校王者を育てた。その指導は厳しいの一言。そんな指導を受け、初のインターハイ王者になったのが具志堅用高。心技体そろった真吉が理想とする選手だった。

真吉は彼に五輪選手を期待し大学進学のお膳立てをするが、具志堅はプロに「攫われ」てしまう。監督に詫び、“世界を盗る”と約束した具志堅は、2年後、本当に世界のベルトを手にする。

凡そ10年後、1987年の海邦国体は真吉にとって勝たなければならない重要な大会だった。その数年前、真吉は地方から出てきた子供たち満足に食事をしていないことを知る。

真吉は新たに建てた自宅を改造してリングと寮を作る。寮生の食事の面倒や怖い真吉に言えないことを聞くのは妻の清子。寮生の中には「やんちゃ」な子供も多かった。しかし真吉は「チャンピオンになれなくても、社会に出て恥ずかしくない大人にする」と進んで受け入れた。

そんな真吉の指導も時代の流れの中、王者を作れなくなった。追い打ちをかけたのが妻・清子の急死だった。そして2014年。真吉はジムを閉めた。

その後、病を得た真吉。しかし最後の最後まで彼のボクシングへの情熱が消えることはなかった。

 

とあります。この文章では本当に短い文でざっとまとめただけですが、実際の映画を拝見した感想は金城眞吉という男がどれだけの事をしてきた人なのか垣間見えるドキュメンタリー映画に仕上がっていました。

金城眞吉

金城監督が練習中によく具志堅用高さんの話をされていたのを今でも覚えています。

具志堅さんはきつい練習から逃げずに自分に勝てる選手だった事。

金城監督のアドバイスを素直に受け入れ、毎日の練習で体に染みこませていた事。

それを試合で出せるように常に考えながら練習していた事。

具志堅用高さんの事をあげればキリがないですが、実はこのドキュメンタリー映画にはもう一つの伝えたい想いが込められています。

それは、高校生チャンピオンを40人も育てた事ではなく、ボクシングというスポーツを通して

『人間形成』を心情に無償で何十年も指導にあたっていた事です。

 

家族との時間を犠牲にしてまで他人の子供を育て上げる。

奥さんと出かけるのはもっぱら選手たちのご飯の買い出し。

しかも無償どころか私財をなげうって自宅の2階部分に建てた『ウィンナーボクシングジム』、その横に選手が寝泊りをするように建てたボクシング部寮。

 

親から預かった子供たちを3年間かけて社会に出ても恥ずかしくない男に指導してくれて、その過程でチャンピオンになれればもうけもんだと、卒業してから初めて聞かされました。

ただそれを現役の選手に言ってしまうと、チャンピオンを目指す気持ちが薄れてしまうかもしれないという想いが金城監督なりにあったそうで、現役の選手達にはチャンピオンになれ!

リングで相手にぶっ倒される前に練習で自分を追いこめ!

この熱い想いが、金城監督の格言になっていきました。

代表的な言葉が

『人に勝つ前に自分に勝て』

でした。

自分に甘い奴が人に勝てるわけがない。人より努力して人よりいっぱい考え抜いて、人より苦しい練習に耐えて初めてチャンピオンになる資格があるんだ!

とよく言われていました。

当時の僕は正直そこまで考えていませんでした。

だから僕は全国チャンピオンになれなかったんだと最近よく思います。

 

金城監督が事あるごとに一人の選手の名前を口にしていました。

それが渡久地隆人先輩、ことピューマ渡久地先輩でした。

ピューマ渡久地

 

今回のドキュメンタリー映画で一番よく出てくるのが渡久地さんです。

まさに金城監督のモットーである『人間形成』が描かれているし、渡久地さんの実際の声もたくさん入っているのでとても興味深いです。

渡久地さんは中学生の頃毎日のように喧嘩をしていたそうです。学校の先生には見放されていたそうで、親は色んなスポーツをさせて更生を試みたが、どれも失敗に終わったそうです。

そんな時に興南高校ボクシング部監督である故・金城眞吉監督の噂を耳にして、すがる思いで金城監督に会いに行ったそうです。

金城監督に初めて会って話をした時に渡久地さんのお母さんは

『この人なら息子を変えてくれる』

と確信したそうです。

金城監督と会った事のある人なら分かると思いますが、金城監督は外見がとても怖いんです。

話すともっと怖いんです。オーラというか、金城監督の雰囲気が只者ではないんです。(いい意味で)

 

 

その後渡久地さんは興南高校に入学し、予定通り金城監督率いるボクシング部に入部し、海邦国体で団体優勝に貢献したのちプロボクサーになっていきました。

ドキュメンタリーの詳しい内容は6月3日日曜日15:30~16:54琉球放送さんで放送されるテレビ番組版を是非ご覧下さい。

出演者の顔ぶれも豪華ですし、一瞬ですが僕も映っています。


出演者の中には元ジュニアフライ級チャンピオンだった具志堅用高さん、WBC世界フライ級前チャンピオンの比嘉大吾選手、そしてWBC世界スーパーライト級元チャンピオンの浜田剛史さん、先ほど紹介したピューマ渡久地さん、先日日本スーパーフライ級王座決定戦を久高選手と争い、惜しくも判定負けで王座奪取とはならなかった翁長吾央さん、その他にも渡久地さんの2期後輩の日本ストロー級元チャンピオンの玉城信一さん、渡久地さんと共に海邦国体で優勝した時のメンバーだった石黒さん、今年の1月に東洋太平洋スーパーフェザー級に挑むも、惜しくもTKO負けとなった小谷将寿など、出演者の話だけでも飽きないほどの顔ぶれとなっています。

僕の一期上の先輩の

嘉陽宗嗣先輩

嘉陽宗嗣 川ちゃん

も参加していました。

ドキュメンタリー映画には紹介されていませんが、沖縄尚学卒の選手として一番活躍して結果を出したのは嘉陽宗嗣先輩でしょう。

活動拠点が東京だったので沖縄では知名度は少し低めですが、パンチ力、パンチのスピード、ディフェンス、スタミナ、根性。

どれを見てもとてもバランスのとれた選手でした。

第31代日本ライトフライ級チャンピオン・第28代OPBF東洋太平洋チャンピオン。

サウスポーのボクサーファイターで、自分から仕掛けていき、相手が反撃してきたところにカウンターを合わせるなど、正に金城監督の教えを、プロのリングでも実践してきたボクサーでした。

世界タイトルマッチも行いましたが、当時の世界チャンピオン、ワンディー・シンワンチャー選手の体重超過の影響で相手のパワーに終始押された末に判定負けを喫し、世界タイトル奪取はなりませんでした。

そんな嘉陽宗嗣選手の話はまた後日詳しくさせて下さい。

金城眞吉

話を戻します。

映画が進むにつれて、金城監督の奥さんである故・金城清子さんが映像に映ると感情が一気にこみ上げてきましたね。

会場にいた先輩方の方からもすすり声が聞こえてきましたので、皆思いは同じだったんでしょう。

奥さんは僕らと金城監督の緩衝材として抜群のポジションに常にいてくれて、選手の悩みなど聞いてくれましたし、金城監督が消防隊の勤務で練習に来れない日には奥さんが技術的なアドバイスをしてくれる事もありました。

奥さんのバックアップ無しには金城監督のここまでの功績もなかったといっても過言ではないでしょう。

金城監督の生い立ちから功績はもちろん、奥さんのエピソードや卒業生のエピソード、息子さんや娘さんの話もたくさん入っていますので金城監督を知らない方も見やすいと思います。

僕らが今こうやって人前に出れるように挨拶や礼儀作法、そして先輩方が残してくれた伝統を僕らがまた後輩に引き継いで行く事を金城監督が教えてくれた賜物でしょう。

そして今でもこうやって、世代は違っても兄弟として付き合える先輩、後輩は今後の人生の宝である事に疑いはありません。

金城監督、今回の沖縄国際映画祭もレッドカーペットを歩くのもとても貴重な経験をさせてくれてありがとうございます。

天国でも奥さんと仲良くゆっくりと過ごされてくださいね。

そして、この映画製作に尽力された日高憲一先輩、琉球放送株式会社の土方淨さん、ありがとうございました。

 


著者:OFFICEK

具志堅用高氏・比嘉大吾選手沖縄県民栄誉賞辞退

タイトルの通りです。

とても残念なニュースが入ってきました。

 

が、それも避けられないほどの事態になってしまったのでこれもしょうがないでしょうか。

去る土曜日(平成30年4月14日)、僕のウィナーボクシングジムの先輩である翁長吾央さん

の試合を観戦するために長男の寛之丞を連れて大阪に行く段取りで飛行機も予約し、大阪での宿もおさえ、この日の仕事の依頼は全て別の日にずらさせていただいていました。

が、人生初の飛行機を予約を間違えてしまい、前日の夜飛行機が取れていない事に気がつきました。

妻に話したところ、当日の飛行機がいっぱいでキャンセル待ちだったのもあり、妻の生まれ故郷である伊是名島に急遽行く事になりました。

 

何ヶ月も何ヶ月も前から計画していて翁長吾央さんの応援をすると決めていたのに、本当にショックでした。

結局、伊是名島で前からエアコンクリーニングを依頼されていたお客様にアポをとり、その日にエアコンクリーニングする段取りになりました。

 

当日、本来なら飛行機に乗っているはずの時間帯に伊是名島行きのフェリーで寛之丞が走り回っているのを後ろから無言で追いかけていました。

一生の不覚です。

 

昼前に伊是名島に到着し、翁長さんの試合はまだまだだなと思いながらエアコンクリーニングの作業をしていると、ボクシング関係者から一本の電話が入りました。

翁長さんの試合はまだだよな?とわかっていただけに変な胸騒ぎがしました。

 

『もしもし?』と電話に出ると相手側が

『おいおい!大変な事になってるぞ!比嘉大吾が一回目の計量で900gオーバーだってよ!』

と慌てて電話がありました。

まさかの電話に状況が飲み込めず一瞬フリーズしましたが、頭をフル回転させ状況把握に全神経を集中させました。

日本人の世界チャンピオンで、まさか比嘉大吾が計量に失敗するとは1mmも思っていなかったので本気でびっくりしたと同時に、2時間以内に落とせるのか?と単純な疑問が浮かんできました。

結果は皆さんご存知の通りです。2時間の猶予を待たずして比嘉大吾陣営から申し出があり、WBC世界フライ級王座、あえなく剥奪となってしまいました。



日本ボクシング史上前代未聞の事態となってしまいました。

 

さて、僕が言いたいのはここからです。

テレビやラジオ、ネットニュースは比嘉大吾の話題で持ちきりでした。

それもそうでしょう。ボクサーとして絶対にやってはいけない事をしてしまったんですから。それは紛れもない事実です。

 

ただ、SNSでボロクソ言ってる人間がいました。

もちろんその人の自由です。しかしあまりにもひどい。

ボクサー失格とか、世界チャンピオンになって調子乗るからこうなるんだよとか、減量失敗ダサいとか。

何度も言いますが、SNSなので何を書こうがその人の自由ですが、こんな事本人目の前にしたら言えないくせにネット上で叩きまくっている人がいましたので非常に面白くない気分になりました。

比嘉大吾は計量に失敗しました。

具志堅用高会長もトレーナーも醜態をさらしました。



そんな事誰が言うまでもなくチーム比嘉大吾が一番よく分かっています。

本人も今のところ一言も言い訳していません。

SNS上で『俺は不摂生だったけど体重オーバーだけはした事ない』とか自分を美化してSNSに投稿してる人間に共通点がありました。

それは、その人間たちが『人として二流以下』だという事です。

昨日試合をした村田諒太選手は自分の試合があったのでコメントなどはしていませんが、必要以上の批判はまずしないでしょう。

なぜなら彼は一流のボクサーだからです。

それに、その他の歴代の世界チャンピオンで比嘉大吾選手を必要以上に悪く言う方はいませんでした。

 

そしてそのSNSを見た人からクレームが入ると『これは愛情だよ?』とかいう始末。

もはや支離滅裂。

自分の言ったセリフに責任も持たない変な男達。

本気でそう思ってるなら誰に何言われようが曲げませんよね?結局SNSで人の反応見て意見を変えてるだけの二流の人間です。

何度も言いますが、比嘉大吾選手、具志堅用高会長、野木トレーナーがしてしまった事は世界チャンピオンとしての前にボクサーとしてあってはいけない事です。

計量オーバーを肯定するつもりは全くありませんが、必要以上のバッシングがどれだけ本人を傷つけているか考えてみてはどうでしょうか?

前日計量の時の比嘉大吾選手の顔色見ましたか?

顔に覇気はなく血色も悪い。唇は脱水症状の影響からか水分が全くなくカサカサの状態でした。



極限まで自分の欲を断ってきた証拠じゃないでしょうか?

SNSに自分が減量前に街でお酒を飲み歩いて、明日から減量開始!とかSNSで言っている二流ボクサーに比嘉大吾をここまでディスる権利があるんでしょうか?

甚だ疑問です。

どう思うかは本人の自由ですが、文句があるなるわざわざSNSで言わないで本人に直接言えばいいだけじゃないですか?

という事が言いたいだけです。

 

比嘉大吾選手、明日の沖縄県民栄誉賞の辞退は本人と具志堅用高氏が決めた事なので仕方ないですが、もし、今後また世界チャンピオンになって結果を残した時には胸を張って受け取って欲しいと心から思い、これからも応援しています。

 

僕の先輩が具志堅用高氏のジムに在籍していましたが、沖縄出身の世界チャンピオンにはなれませんでした。

その夢を比嘉大吾が叶えてくれました。県民栄誉賞の権利は十分に得ているでしょう。

具志堅会長!比嘉大吾選手をもう一度本物の漢に、もう一度本物のチャンピオンにしてあげて下さい!

比嘉大吾選手がやってしまった事は決して許される事ではありません。

それでも比嘉大吾選手はまだまだ未来ある若者です。

必要以上に責めないで欲しいと切に願います。

著者:OFFICEK

翁長吾央先輩

  たった今、僕の高校、大学(僕は1年で中退)の先輩である翁長吾央さんの試合が始まったところです。

相手の地元、大阪で久高選手と日本スーパーフライ級タイトルマッチを争っています。

翁長吾央さんとの出会いは僕が小学6年生の頃、今から20年以上前に遡ります。

当時小学6年生だった僕は、父親に連れられて故・金城監督が指導するウィンナーボクシングジムに通い始めました。

当時のウィンナーボクシングジムは沖縄尚学高校のボクシング部ではなく、興南高校ボクシング部の時代でした。

ミドル級でインターハイ優勝したボンミーさん(上原さん)とウェルター級で選抜、インターハイ、国体の高校タイトルを総なめにした伊地知さんが3年生のタイミングでした。

ジムはとても活気があり、小学生ながらあまりの迫力に気圧されたのを覚えています。
その偉大な先輩が卒業して、入れ替えで入学してきたのが翁長吾央さんでした。

吾央さんの代から正式に、金城監督は沖縄尚学高校に移籍されています。

僕は中学一年生に上がった頃で、吾央さんが入寮した日もよく覚えています。
今振り返るととても貴重な思い出ですね。

翁長吾央さんはボクシングは未経験でしたが、柔道をやっていたと言っていましたね。体がしっかりしていました。

はじめはオーソドックスで鏡の前に立ってみたりサウスポースタイルで構えてみたりと色々試してみた結果、サウスポースタイルに決定し、その後の翁長吾央のボクシング人生がスタートしたわけです。

入学したての翁長さんは、一年上の根間さんに毎日スパーリングでやられていましたが、それは一年のキャリアの差があるので当たり前ですよね。

僕はその後、夏休みを境にウィンナーボクシングジムに通うのをやめ遊びに走ってしまいました。

そして1年が過ぎ2年が過ぎ僕も中学3年生になった頃でした。

風の噂で翁長吾央さんが全国大会で優勝したと聞きました。

吾央さんの快進撃は止まらずに、インターハイ、国体まで優勝し、世界大会でベスト8に入るほどの選手になっていたんです。

そして翁長さんは当時関東大学ボクシングリーグでは2部だった東洋大学へと進学し、1部へと押し上げたんです。もちろんリーグ戦なので一人の力ではありませんが、チームの大きな存在になった事は確かでしょう。

僕はフェザー級が主戦場でしたが、試合でもらったどのパンチよりもフライ級の吾央さんのパンチが強烈だったなぁ。
パンチが早くて見えない間にもらってるし、打ち返したらもうそこにいない。ヒットアンドアウェーのお手本と言えるボクシングスタイルでしたね。

本当にスタイリッシュなボクシングでした。

そんな吾央さんも卒業を控えた当初は東洋大学の職員として就職が決まっていたんですが、卒業間近になってやっぱりプロに行きたい!
と決意してプロボクサーの道へとシフトしたんですね。

自分の夢を追いかける、実にシンプルですがとても勇気のいる選択だと思います。

その後のプロボクサー翁長吾央としての活躍は知っての通りなので割愛します。
そしてこのブログを書いている最中に大阪で翁長吾央さんの試合を観戦している先輩から翁長吾央さんのタイトル奪取ならずの一報が入りました。

吾央さんは大学を途中で辞めて、金城監督も東洋大学も裏切った僕の事をいつも気にかけてくれる先輩です。
そんな吾央さんはプロのタイトルには縁がなかったですが、僕の中ではいつまでもヒーローなのは間違いありません。

いつも優しく、時に厳しく指導してくれてありがとうございます。
落ち着いたらゆっくり酒でも飲みましょう。

今日はゆっくり休んで下さい。
本当にお疲れ様でした。

比嘉大吾選手も体重オーバーで王者剥奪されてしまいました。

そしてもう一つショックなのが、僕の友人の第37代スーパーライト級チャンピオン、第36代東洋太平洋スーパーライト級チャンピオンの小原佳太選手がまさかのKO負けを喫し、WBOアジアパシフィックチャンピオンの座を失いました。

勝負の世界なので結果が全てです。

小原選手本人も言い訳は一切していないので本人もこの結果を受け入れているのでしょう。

彼は自分を客観的に見る事ができる人間なのでとても尊敬しています。

勝つ人がいれば必ず負ける人がいる。勝負の世界では当たり前中の当たり前の事ですが、苦しい減量に耐え、リングに上がり殴り合う。

この過酷さの中に美学があるんでしょうかボクシングというのは。

小原選手も翁長吾央さんもまだ試合が終わったばっかりなので今後の事は言及されていません。

そういえば小原選手も東洋大学ボクシング部出身なので翁長さんとは先輩後輩にあたりますね。

ちなみに、ロンドンオリンピックミドル級で金メダル、現WBA世界ミドル級チャンピオンの(2018年4/14現在)村田諒太選手も東洋大学ボクシング部出身です。

皆さんとても活躍されていますよね。

これからもボクシング界が発展していきますように願っています。

そして最後に、この試合後、翁長さんは引退を表明されたそうです。

本当にお疲れ様でした。

著者:OFFICEK

ピューマ渡久地先輩

僕は学生の頃、沖縄ボクシング王国を築き上げた故・金城眞吉監督の自宅兼合宿所でボクシングを指導してもらい、そして社会生活に必要な『礼儀・礼節』というものを徹底的に教え込まれてきました。

 

ピューマ渡久地

 

その金城監督は2017年11月16日に、教え子である具志堅用高さんらに見守られながら奥さんの清子さんの待つ天国へと旅立たれました。

僕らは金城眞吉一家という固い絆で先輩・後輩・同期のみんなとつながっています。あの世界タイトルを13回も連続防衛された具志堅さんも先輩にあたります。

本当にキャラの濃いメンバーばかりを集めて(集まった)ボクシング部で自分を磨かせる事に自分の人生を捧げた監督さんでした。

金城監督は僕らが現役の頃によくこうやって話していました。

『お前らの先輩の渡久地、ピューマ渡久地ってのがいてな、あいつは本当にやんちゃだったよ』

あの金城監督が言うぐらいなのでよっぽどだったのでしょう(´・ω・`)

中学の頃から暴れん坊で有名だったらしく、喧嘩っぱやさではナンバーワンだったそうです。

そんな渡久地さんは色んなエピソードがあり、

とても魅力的な先輩だと思います。

渡久地さんをよく知る年が近い先輩方から多くの逸話を教えてもらいましたが、言えない事の方が多いので言える範囲で紹介します。

そんな渡久地さんも金城監督だけには頭が上がらなかったそうで、金城監督への熱い信頼関係が伺えます。

負けず嫌いな渡久地さんは高校生の頃から金城監督の指導のもとボクシングで頭角をあらわしていました。

渡久地さんが高校3年生の頃に沖縄で開催された海邦国体の代表メンバーにも選ばれており、団体優勝に貢献されています。

その海邦国体の時の逸話ですが、後のバンタム級世界チャンピオンになる辰吉丈一郎と会場で出会い、一触即発の状態になったそうです。

 


さすが渡久地さん、規格外です。

高校卒業後は日大に進んだそうですが中退後プロの道へと進み、高校3年のインターハイ決勝で破れた川島選手に見事K.Oでリベンジを果たし、全日本新人王(MVP獲得)・A級トーナメント優勝(MVP獲得)日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣新人賞受賞と、そして9戦全K.O勝ちで日本チャンピオンに上り詰めノリに乗っていました。

そしてあのルックスですからね、女性ファンもとても多かったようですよ。

その後紆余曲折を経て数年後に日本タイトルを再度取った時の話ですが、相手選手の応援団が渡久地さんの判定勝ちに不満を爆発させやじを飛ばしている時に渡久地さんがリング上で

『気にいらないなら岡田にベルトやるよ!』

と相手の応援団にむかって叫んでいました。

命懸けでチャンピオンから奪い取ったベルトをそんな風に言える選手他にいますか?

ベルトという一つの形にとらわれない生き様が思わず口から出てしまったんでしょうね。

そんな気の強い渡久地さんも、金城監督の前ではとても穏やかな表情になると奥さん『清子さん』がよく話していました。

手のかかる子供ほど可愛いとよく言いますが

金城監督と奥さんにとっては渡久地さんがまさにそういう子供だったとよく話しています。

今は沖縄で療養中だそうですが、元気であれば金城監督も奥さんも喜ばれている事でしょう。

渡久地さんの逸話は本当にたくさんあるのでyoutube等で見てみてくださいね。

動画で見ると渡久地さんの更なる魅力が発見できるとおもいますよ!


著者:OFFICEK

金城眞吉監督を永遠に!

金城眞吉監督を永遠に!

 

 故・金城眞吉監督のドキュメンタリーを製作中です。

僕がお手伝いできる事はほとんどありませんが、小さな手伝いが集まれば大きな力になると信じています!

僕だけではなく、多くの先輩方、後輩達の人生を大きく変えてくれた最高に熱い監督でした。

今でも僕たちの心の中に大きく存在していますが、それをドキュメンタリーというわかりやすい形で世の人に伝えたい、残したいという思いでOB一同、一致団結しています。

 

当時中学生だった僕に、あれだけ熱い一声をかけてくれた人はただの一人もいませんでした。

あの一言が今でも脳裏にやきついています。

そして時々思い出します。

学生の頃金城監督がまず僕たちに徹底的に教え込んだのが礼儀でした。

社会に出る準備をとても厳しく教え込まれていたんだなと今になってとてもありがたく思います。

チャンピオンになったからといって挨拶も出来ない奴は張り倒す!(今のご時世はダメですが)というのが口癖でした。

試合後のリングの上でビンタされる事もありました。

でも、あの時金城監督に殴られて金城監督を恨んでいる人はいないのではないのでしょうか?

今となっては、先輩方と酒を飲みながら話していると必ずそういう話題になりますが、笑い話になってとてもいい思い出です。


先輩方の思い出は僕らの時代よりも面白い話や裏話がたくさんあって話が尽きません。

金城監督の自宅の隣でみんな寮生活を経験しているので、今は兄弟のように懐かしい話に華が咲きます。

親元を離れての寮生活はとても楽しかったです。

歴代の先輩方のサインや落書きがたくさんあって漢臭くてとても思い出深い3年間です。

僕が卒業して数年後にはウィンナージムを閉鎖すると聞き、とても寂しかったです。

これも時代の流れだよと少し寂しそうな金城監督の顔が忘れられません。

本当は全国チャンピオンになって金城監督に恩返しをしたかったのですが、僕は先輩方のようにチャンピオンになる事はできませんでした。あの時金城監督のいう事をもうちょっと聞いていればと後悔する事もあります。

金城監督が行かせてくれた大学も一年で辞めてしまって顔に泥を塗ってしまいました。

 

それでも金城監督に出会えた事は間違いなく僕の人生の宝物です。

僕だけではなく、金城監督に指導してもらった人はみんな同じ気持ちでしょう。

皆さん、ほんの少しづつでいいので協力していただけるとありがたいです。

このドキュメンタリーにはもっと細かく金城監督の事が描かれていると思います。

この続きはドキュメンタリーで一緒に楽しみましょう。

ご協力よろしくお願いします。

著者:OFFICEK

沖縄ボクシングの名伯楽金城眞吉監督死去

興南高校、沖縄尚学高校ボクシング部監督である

金城眞吉監督

が11/16日、奥さんのいる天国に旅立ちました。

興南高校、沖縄尚学高校で40人以上の全国チャンピオンを輩出し、アメリカでボクシングの殿堂入りを果たした

日本ボクシング界のレジェンド、具志堅用高さんを育てた事でもとても有名な監督でした。


僕は沖縄尚学ボクシング部の5期生として入学させてもらいましたが、金城監督はとにかく礼儀作法にうるさい方で、どんなにボクシングが強かろうが挨拶ができない人間は挨拶から徹底的に教え込むという、人間形成がモットーの方でした。

僕が金城監督のいる沖縄尚学ボクシング部に入部を決めた一言は今でも心に深く、そして鮮明に刻み込まれています。

当時中学三年生で高校に行く気もなく、毎日夜中まで遊んで朝方帰ってきて、昼過ぎまで寝て夕方からまた遊びに出かけるようなだらだらと過ごしていた時に父親に誘われて金城監督と会うことになったんです。

 

 

自分を変える

嫌なことやきつい事から逃げてばかりいた僕は、金城監督のボクシング部がとても厳しい環境である事は分かっていました。

 

ボクシング部に入る気はそれほどなかったんですが、当時の生活も抜け出さなきゃなとは心の片隅で思っていた時期でした。

 

金城監督は中学生の僕にも真剣にぶつかってきてくれているのがはっきりと伝わってきました。少しづつボクシングをやってみようかなと思っている時に金城監督は僕の父にむかってこう言いました。

 

『お父さん、僕はこの子をチャンピオンにする指導はできますけど、この子がね、チャンピオンになるかどうかはこの子の頑張り次第ですよ。ただね、僕にこの子を3年間預けてくれたら、社会に出た時にどこに行っても恥ずかしくない男に育ててお返ししますよ』

 

と言ってくれたんです。大の大人がですよ。こんな中学生の子供相手にここまで本気でぶつかってきてくれる大人がどこにいますか?しかも他人の子に。

 

その一言を言われて、

今の自分を変えるにはこの人に頼るしかないと子供ながらに思ったのを今でもはっきりと覚えています。


 

高校に入学してやはり最初に挨拶を徹底的に教え込まれました。今までは親にもそこまでの挨拶は教えられた事がなかったので最初は戸惑いましたが、2年生になる頃には体に染み込まれて自然に挨拶ができるようになっていました。

 

今では挨拶がとても大事な事なんだなとつくづく思います。

『礼に始まり礼に終わる』よく言われました。

 

金城監督の言葉で有名な言葉があります。

 

人に勝つ前に自分に勝て

 

練習に泣いて試合で笑え

 

ジムにこの二つの文言が貼られていたので、この言葉を見ながら毎日練習に励んでいました。

 

僕は先輩方のようにチャンピオンになれなかったし大した成績も残せませんでした。

 

それでもこんなに偉大な監督に出会えて、指導してもらって、こんなに素晴らしい先輩方、同期、そして後輩達に出会えた事は何よりも僕の財産です。

 

自分の子供にも人生の中で一人でいいからこんな熱い人に出会って欲しいなと思います。

 

金城監督、天国で奥さんと会えましたか?7年ぶりに奥さんと再会できてゆっくりしてますか?

 

僕たち金城一門は監督さんの教えを胸にこれからも頑張っていきます!

 

本当にありがとうございました。長い間本当にお疲れ様でした。

 

また監督さんの家でみんなで集まってわいわい飲みましょう!そん時は奥さんも一緒に飲みましょうね。


 

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